野原貴子公式サイト

2015.3.6 | カテゴリ:サイモントン療法 , ブログ

如何に生きるか、如何に死ぬか。

カウンセリングルーム2

みなさん、こんにちは〜。沖縄の心理薬剤師の野原貴子です。
今日もこのブログへお越し頂きありがとうございます。
 
 
今日は、雨ですね〜。
今、窓の外の雨を見ながら友人お勧めのバニラコーヒーを飲んでます。^^
バックミュージックは私の好きなホイットニーヒューストンの『I will always love you』が流れていますよ〜。♡
只今、充足感を満喫中〜。^^
 
 

皆さんはどのような時に充足感を感じますか?
私たちにはこの充足感、幸福感、喜び、平安。。。すべて大切ですね。
 
 
午前中は、80歳の母(スーパー完璧主義)と20歳の娘(長女気質満載)と私(自由奔放)3人でランチをしました。
80歳の母は着々と終活を進めている人で、自分のお葬式も完璧にコーディネートしたいらしいです。
執着も満載なのですが、本人は自分のペースが乱されるのを何より嫌うので聞くだけ聞いて「出来る、出来ない」と私が仕分けしています^^
 
 

最近はよくテレビでも終活に関する報道がされているので母もそれに倣っている様です。
でも彼女には悲壮感はなく、むしろ楽しんでいるかのように見えます。
80歳を迎えて多少身体の自由が利かなくなっていますが、根っからのダンシャリアンの彼女には家でせっせと断捨離に励むのは生きがいになっているようです。
 
 

私の実家は昔から「死」というものを自然なかたちで会話の中にでてきました。ですから子供ながらに「死」というのは何か特別なことではなく、自然な生活の一部のような気がしていました。
沖縄ではこういった家が多いのではないでしょうか。
祖父母や父、叔父、叔母などを見送り、このような仕事柄、他人の「死」にも出会ってきました。
 
 
「死」を考えることは、「生」を考えることです。
私の好きな言葉に『命が永遠かの如く生きよ、そして今晩、死を迎えても良いかの如く生きよ。』というアメリカインディアンの言葉があります。
私たちは自分の命が永遠ならどのように日々をすごすのでしょう、又今晩、死を迎えるならどのような1日を送るのでしょう。
 
 

私たちは生まれるときもちゃんとプロセスを経て生まれてきます。蛹から蝶が羽化するように早くも無く遅くも無く絶妙なタイミングで。
「「死」というのもそのようなプロセスを経て物理的な制限から解き放たれて自由に大空を飛ぶような体験である。」と死の臨床研究者であるエリザベス・キューブラ・ロス博士は言っています。
 
 

私たちの死亡率は100%です。全ての人が死に向かって歩んでいます。ならば有効期限のある人生を闇雲に死を恐れて生きるより、いかに充足させ、豊かに生きることが大切になってくるのです。
自然の生活の一部である死というもののプロセスを信頼し周りを信頼し何より自分自身を信頼することです。
 
 

私自身も「先に逝く勇者に敬意を表し、後に続く者に全ては上手く言っていると安心感を与える。」ような健全な死を迎えられたらと思っています。
そのためにも、日常でどのように過ごすかということに意識を集中することは大切ですね。
 
 
今日は沖縄では、十六日〜といってあの世のお正月です。
先に逝った先輩達は楽しく宴会でもしてるんでしょうね。^^
そして、私たちを上から見下ろして、「頑張れ〜、もう少しそこで勉強してな〜。」な〜んて言ってるかもしれません。^^
 
 

今日一日貴方はどのように過ごしますか。。^^

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